累代の百庚申

百庚申

当山の後方に松やひのき等の樹木が、薄暗いほどに覆い茂る山がある。この山には、神霊が、ずっしりと腰をおろしておると伝えられる厄除和合庚申があります。

 この庚申塔の縁起は、今からさかのぼること三百数十年前、桐生城主、即ち卿であります桐生大炊介助綱が、足尾庚申山の庚申に深く帰依(厚く信仰)し、足尾領土内の盛隆と人々の円満、更に子孫繁栄を夢見て業績大いに著わし、人々は大いに喜びを共にしたという。

 そこで、近く此の地(文昌寺裏山)にその庚申を分け移し(分祠)て、日夜信仰はとりわけ厚くしたといわれています。

 是より先、文昌寺開基應山牛喚大和尚の時、或る夜庚申神の御告げであると白髪童顔の人の良さそうな一老爺が来て「よいかな、よいかな私は庚申の神です。此の後山の頂きに私を祀りて和合庚申神と唱えよ。そうするならば国家康寧、家庭益々和合すべし伝々・・・」と、申したという。これに非常に驚き眼が覚めるとなんと夢であったという。

 應山牛喚大和尚が、朝日を拝して礼拝する時、おりよく桐生大炊介の使者が来て、「此の地に足尾庚申神のその庚申を分け移し(分祠)祀り後世に伝えるならば、必ず万人の厄を除き家庭の円満和合が計られる伝々・・・」と告げられ、初めて正夢であることを知ったのである。

 それ以来当山に百庚申として安置し、幾多の年月を経て庶民と共に厚く信仰されています。この厄除和合庚申から桐生の山や町並みの眺めがよいところです。

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